独楽なお皿
セーターの左ポッケにいつも出来る毛玉畑や、靴下に穴が空くのはいつも左親指の先。
観てみたいなぁ。そうなっていく過程を。
きっと無自覚な自分の癖がはっきり分かるんだろうな。
先日、私とは全く面識のない人がジャンルの違う映像を観て、同じ人=私が作ったと思ったらしく、
へーっ、分かるものなんだなぁと思いました。
ものづくりは意志や自覚の重なりで出来ているようなものですが、
敢えて自分の匂いや灰汁を消すようにすることもあるわけで、
そうやって作ったつもりでも自分では気付かない何かを残しているようです。
それはそれで嬉しい。
誰でもいいような映像は作りたくないから、フリーを選んでいるのだし。
自分では一言に映像を作るといっても大きくは二つに分かれると思っています。
一つは映像表現。
映画やドラマ、アート作品とか。
映像が表現したもの、それが主役になるもの。
もう一つは映像伝達。
CMやミュージックビデオ、PR映像等々。
宣伝や紹介したい商品やサービス、音楽があり、映像は伝える手段。
まぁ、どちらにもかぶるグレーゾーンはありますが、大きくはこの二つに分けられると考えてます。
現在、私が仕事させて頂いているのは主に映像伝達です。
映像はあくまで、商品やサービス、音楽の魅力を伝える手段なので、
時には映像の作り手の匂いや灰汁等の表現が邪魔になるときもある訳です。
でも、やるからには自分ならではの映像にしたいとか思っちゃう訳です。
もちろん宣伝したい対象を伝えるためにという意味ですが。
学生の頃は、俺が俺が的な灰汁が強すぎて、自分を消す魅力がさっぱり分かりませんでした。
最近は映像って、料理のお皿に例えると分かりやすいなぁと思ったりもします。
お皿も色々ありますよね。
料理を引き立たせるシンプルなものや、お互いに個性を主張して丁度良いものもある。
料理と皿で作りたい雰囲気もあるかもしれない。
理屈では分かっていたような当たり前のことでも、気づくと面白いなぁと思います。
きっと自分は味や灰汁は消しきれないのだろうな。
消しきったときは、お皿がない状態。
それは映像を辞めているということになりそうです。