独楽な寛容性

すっかりコロナ以前と変わってしまったんだなと思うことが増えました。
それでも日常の忙しさは変わらず、流されそうになるので、自分の為にも考えを整理しなきゃなと思いました。


一体何が変わったのかと考えると、ディスタンスや消毒、マスクだけじゃなくて、白黒がはっきりつけられなくなったことだと思います。正しい、間違っているといった言葉に言い換えても同じ。
 
白黒だけなら自粛するしかないと思います。
でも自粛だけじゃ生活が成り立たないし、今のままでも経済活動がもたない人が沢山います。
本来は国や行政がもっと力になるべきだと思いますけど、資本主義の大きな企業みたいになってるのが炙り出されたように感じました。結局は自分達、1人1人の問題だったのだなぁと思います(そういった国になったのも)。

 

個人的には、『感染=悪いこと』みたいな印象を受ける今の状況はナンセンスだと思ってまして、
無症状でも感染するもの対して、感染する、感染させる=悪いなんて、ちょっと厳し過ぎませんか?

勿論、命の危険性は放置出来ないです。
そうなるとリスクのある状況で、どうバランスを取るかしかないんだと思います。 そのバランスを取る際に、自分は「寛容性」が一番大事なんじゃないかと考えました。


 

誰だって自分の行動で、人の命を奪いかねないリスクは取りたくないです。
でも、コロナ以前も同じような状況で生活はしていて、自分の何気ない日常の行動で、人の命を奪いかねないリスクは常にあったはずです。誰でも加害者になるし、被害者にもなりえる。ただ、コロナ以後はリスクの輪郭がぐっと強くなり、常に問われるようになりました。



でもそのリスクを1人で全部責任取ったら、とてもじゃないけど何も出来ないです。
自分も相手もそんなリスクを背負ってるとお互いに想像して、まずは責めるのではく、寛容にならないと話しにならないと思う。


立場や状況もそれぞれ違うのだから、その上で白黒ではなくお互いに歩み寄って、グレーゾーンに着地点をつどつど見い出していくしかない。とても面倒臭いけど、グレーゾーンはある意味余白でもあるのだから、逆に生きやすい社会を作っていく行為だと思います。