独楽を待ちながら

昨日まで、作業机の上に本を立てかけてました。
購入して3ヶ月近く経ちながらも、本は一切開かないで表紙を眺めるだけ。
その本の名は「イイダ傘店のデザイン」といいます。
http://www.pie.co.jp/search/detail.php?ID=4481


イイダ傘店さんは、もともと傘と何のゆかりもなかった飯田純久さんが、
傘の生地やパーツ等々を一からデザインして、
更にそれらを作り上げる為の職人さんも探して、
出来上がった生地やパーツを飯田さんと数人のスタッフさんが、
手作業で一本一本作りあげるオーダー専門の傘屋さんです。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/iidakasaten/index-2.htm


「こんな素敵な傘、見たことない」


本当に凄いのに、さらっとをやっちゃう天才肌な人っているじゃないですか。
そんな印象でした。
勿論、そんな簡単なことじゃないとは重々承知していますが…越えれない壁に思えてしまうものです。
という訳で本を開くまでもなく、表紙だけでも十分幸せでお腹一杯だったのでした。



ですが最近、個人的にとても悲しいことがあったので、本を読もうかなと思いました。
読むとやっぱり凄いなぁと何度も思うのですが、個人的にとても響くところがありました。
それは「待つ」ということ。


「待つ」って私はある意味とても苦手で、凄く後ろ向きな気持ちになって「待つ」ことが多いのです。


本には前向きな「待つ」のエピソードがありました。
違う考え方や心の持ち方はとても大事ですね。
誰しも辛いことや、悲しいこと、不安やトラウマがあって、それが人を弱くも強くもさせますが、ちょっと良いヒントを貰えました。
まぁ、非常に特殊な感想です。


実際の本の内容は、ものづくりの素敵さがとても伝わる明るい本です(笑)。

独楽なお皿

セーターの左ポッケにいつも出来る毛玉畑や、靴下に穴が空くのはいつも左親指の先。
観てみたいなぁ。そうなっていく過程を。
きっと無自覚な自分の癖がはっきり分かるんだろうな。


先日、私とは全く面識のない人がジャンルの違う映像を観て、同じ人=私が作ったと思ったらしく、
へーっ、分かるものなんだなぁと思いました。

ものづくりは意志や自覚の重なりで出来ているようなものですが、
敢えて自分の匂いや灰汁を消すようにすることもあるわけで、
そうやって作ったつもりでも自分では気付かない何かを残しているようです。


それはそれで嬉しい。
誰でもいいような映像は作りたくないから、フリーを選んでいるのだし。


自分では一言に映像を作るといっても大きくは二つに分かれると思っています。

一つは映像表現。
映画やドラマ、アート作品とか。
映像が表現したもの、それが主役になるもの。


もう一つは映像伝達。
CMやミュージックビデオ、PR映像等々。
宣伝や紹介したい商品やサービス、音楽があり、映像は伝える手段。


まぁ、どちらにもかぶるグレーゾーンはありますが、大きくはこの二つに分けられると考えてます。


現在、私が仕事させて頂いているのは主に映像伝達です。
映像はあくまで、商品やサービス、音楽の魅力を伝える手段なので、
時には映像の作り手の匂いや灰汁等の表現が邪魔になるときもある訳です。


でも、やるからには自分ならではの映像にしたいとか思っちゃう訳です。
もちろん宣伝したい対象を伝えるためにという意味ですが。


学生の頃は、俺が俺が的な灰汁が強すぎて、自分を消す魅力がさっぱり分かりませんでした。


最近は映像って、料理のお皿に例えると分かりやすいなぁと思ったりもします。
お皿も色々ありますよね。


料理を引き立たせるシンプルなものや、お互いに個性を主張して丁度良いものもある。
料理と皿で作りたい雰囲気もあるかもしれない。


理屈では分かっていたような当たり前のことでも、気づくと面白いなぁと思います。


きっと自分は味や灰汁は消しきれないのだろうな。
消しきったときは、お皿がない状態。
それは映像を辞めているということになりそうです。

独楽な磨き上げ

『じーざす! この汚れ、広がる!?(心の声)』

と、現場で冷や汗を流しながら、カメラのイメージセンサーを掃除したのはいつだったのか…。
イメージセンサーは超デリケートで下手に傷が入ると大損です。
…なにはともあれ、撮影したものに異常は無くなりました。
でも、若干汚れてるよなぁ。

そんな折、銀座のソニーさんでもイメージセンサーのクリーニングを行っていると知って早速予約しました。


当日、担当の技師の方に上記の話しもしてお渡しすると
「では18時30頃に来て頂けますか」
と言われて、2時間も掛かるものなん?とちょっと驚きました。

本当は興味本位かつ、勉強のために作業を見たかったのですが、そんな感じではなかったので、近くのカフェでコーヒーを飲みながら待っていると、ソニーさんから電話が。

イメージセンサーのクリーニングはまだ終わってないのですが、傷が見つかりまして…」
「え?」
とりあえず、途中なのでクリーニングを終えて状況を確認することに。


病気の診断を待つような気分で待って、約束の時間になったので再びソニーさんへ。

「…どうでしたか?」
「やっぱり縦に傷がありまして、…でも写りには出てないです」
「ほんとですか!」
いやー、良かったです。
で、実際に観てみますか?となりまして、是非是非と。
技師さんの使用していた筒状の拡大鏡をお借りして覗きます。
…覗きます。
…覗きます。
…覗き
「この角度だと見やすいです」
…覗きます。
…覗き
「小さな白い点が一個あるのは分かるんですけど…」
技師さんが覗いて
「あ、これは新しい埃ですね。その右隣にうっすらと縦のラインが」
…覗きます。
…覗きます。
「…駄目だ。右隣…全然分かりません」
技師さん、覗いて
「あ、今ちょっとゴミが動いて、あと小さなゴミもまたついちゃってますが、その間に」
…覗きます。
…覗きます。
「…すいません、やっぱり駄目です」
「まー、これを(拡大鏡)使いこなすのも多少時間かかりますからねー」


その後、新しく付いたゴミを取る作業を見させて貰いながら、これは時間かかるわと思いました。
もしもの時に参考になるかと思って、色々お話しを聞かせて頂くと、
洗浄液で汚れを浮かして、それを綿棒等で吸い取り、
最後は洗浄液の蒸発と合わせて綿棒等で吸い取り、液体の蒸発跡もない状態に磨き上げるとのこと。
感覚的にもそれが分かるということで、まさに職人技でした。


傷も影響ない程度でホッとしたこともあり、かつ良い技を見せて貰ったなぁと、ちょっとホクホクして帰路につきました。

独楽な移住


ふらっと書き出しました。


最近、移住関係の仕事に関わることが多く、撮影等でその場所に行けるのはなかなか貴重な体験です。
今回はディレクションと制作進行が主な仕事なので、移住の魅力ってなんだろうと考えていました。


色々ありますよね。自然だったり、趣味だったり、子育てだったり。


実際に移住された方から話を聞いて、
その場所の海や山、空気、水や食べ物、流れる時間、人々との交流を体験すると、
頭ではなく身体から揺さぶられるものがあります。
知ってたつもりですが、こんなに違うものかと驚きました。
東京に戻りたくないなぁと思うこともしばしば。


でも、ある移住者の方も言っていましたが、東京は東京で楽しいと。
あたりまえですが、捉え方次第で良くも、悪くもなります。
そう考えると移住の魅力の本質ってなんだろうと思います。


勿論、素晴らしい環境や恵まれた土地というものは、やっぱりあります。


でも今回思った、移住の最大の魅力は様々な環境や人の暮らしを肌で感じること。
それが自分の人生を豊かにすること。
私はついつい、あるべき論やすべき論に縛られがちなところがありますが、それは多様性の一つ。
頭だけで生きてるわけじゃない。

VALHALLA

随分と空いてしまいました。すいません…ってよくあるブログのパターンまんまになってます。

気を取り直して。

少し前にパタゴニアさんが行っているイベントで「VALHALLA」という映画を観ました。
http://www.thecleanestline.jp/2013/10/sweetgrass-productions-valhalla.html

子供の頃に持っていた純粋な自由への回帰。そんな感じなんですけど、最初はスキーヒッピー?みたいな予告映像に怪しい感じの映画なのかなぁと思って行きました。
結果的にはそんなことはなく(笑)哲学的ではあるんですけど、全編通して滑っている人達の楽しさが伝わってくる映画でした。

よく海外のアウトドアの映画や映像を見ると出演者が本当にはっちゃけていて、といってもサッカー勝利で湧く渋谷交差点のような感じではなく。
個人的感想ですが、あの映像(ああいった雰囲気のみしか流れませんが)にはサッカー勝利の喜びと興奮と世の中への不満や個人の鬱屈した想いが見えるような気がします。今の日本の暮らし辛さや不安みたいなものもが滲むような。
でも上記の映画の人達は少なくとも写っている姿は本当に楽しそうで伸びやかです。

伸びやかさって良いなぁ。

いきなりそこまでの伸びやかさではなくても良いから、例えば猫が伸びをするように。
そしてそんな猫を見て微笑んでしまうように。
そんな些細な伸びやかさを人同士で持ちたいなぁと思うんです。

独楽な視覚

まるで写真家の人がスナップ写真を撮るように、そんな風に映像を撮りたいなーという想いがありまして。
しかし、日常の中で一瞬を切り取りたいっていうよりは、単にもっと見てみたいというのが日常の中に沢山あるのです。

せわしない日々だと、なかなか見る時間ってとれません。
眼に飛び込んでくるものだけでも楽しいのですが、もっとじっくり見てみたいなーと。

それと見るだけでも充分楽しいのですが、撮ることによって新たな面白さや発見が出てきたりします。
ということでちょっと実験っぽいのですが、やりながら何かしらになると良いなーという映像コーナー「Field of view」を始めます。

Field of viewの第一回目は
『A small park』
http://vimeo.com/70232695

三鷹にある、とある小さな公園です。
小さな公園なんですけど、自然って凄いですね。いやー面白い。
映像の印象ではまるで大きな公園な感じがします(笑)

写真集のように、フラットに見ることを楽しめないかなーと考えていて、シャッター音の案が浮かんだのですが音って凄い。
あと気になっていたVimeo。好みなんですけど、諸々の英語が…自信ないです。

視覚表現

先日、アントニオロペス展
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/13_lopez/index.html
半田也寸志写真展
http://art-and-more.net/2013/04/iron-stills.html
を観てきました。
どちらも凄く良かったです!期間はもうじき終わってしまいますがお勧めです。

視覚表現って不思議だなーと思います。

ロペスさんの鉛筆だけで描かれた白黒の絵をじっと見ていると、扉が開いていて、部屋の奥には白い便器やシャワーがあって、そこに辿りつくまでの床のタイルが一つ一つ描かれていて・・・とそのあたりで、ぎょっとなります。

本当にその部屋に居る感覚になるんです。
まるでロペスさんが描いている場所に私も居て、ロペスさんの視覚が私の視覚になったかのような。

よくリアルだねーって感想があると思うのですが、表現って再構築なのでリアル(本物?)ではないのです。
当たり前ですけど、紙と鉛筆で描かれた絵ですから。

でもロペスさんの視覚になったような時は、ロペスさんの目前のリアルな景色を感じるんです。
ロペスさんにとっては間違いなく本物、実際のモノや景色。
それをどう見たとか、見えているとかを感じるんです。
それはリアルと呼べるのかもしれないないと思います。

そして興味深いのは時間です。絵はとても長い時間をかけます。とくにロペスさんは5年とか10年とかとても長いです。
本人の映像で「私は一つの作品に一生かけても良いと思っています」といった主旨の言葉があって、個人的には目からウロコでした。

半田さんの写真も足掛け5年の企画だそうです。
アメリカの鉄にまつわる写真で重厚な写真展です。
そして写真一点一点の解説文が凄い。一時間の鑑賞ではとても読みきれないボリューム、まるで小説です。

面白いのは写真は絵と違って一瞬を切り取るものです。
でも、その写真からは半田さんのかけてきた時間や調べ上げた対象への敬意等が伝わってきます。

時間をかけるのか、かかっちゃうのかは分かりませんが(笑)何かに対してとても長い時間をかける魅力にちょっと惹かれました。

展示を通して、視覚表現の共有感覚や、自分自身が一番分からないとか、映像にとっての時間とか、まだまだモヤモヤしている事は色々ありますが、長くなるのでこのあたりにします。ではでは。